とらや (羊羹)
創業が室町時代後期の本社が東京都港区赤坂にある株式会社虎屋の羊羹店です。

創業年が室町後期というのもすごいですが、後陽成天皇に和菓子を提供して、それ以降は皇室御用達となっています。

ということは、とらやは御所のある京都にあったのですが、明治になって東京に移転してきました。

グルメな羊羹の老舗としても知られていますが、近年は、パリやニューヨークにも進出しています。

看板商品は、もちろん羊羹ですが、その中でも「夜の梅」が代表的なものです。羊羹の切り口に小豆が見えますが、それが夜の闇にほの白く咲く梅を表現していることから名付けられたものです。
かなり古くからあるお菓子で、文政2年、1819年にはこの羊羹名が記録されているそうです。

羊羹に次ぐ定番のお菓子が、最中です。とらやの最中には3種類があり、日本を代表する花の菊、梅、桜をかたどった「虎屋最中」、梅の形と桜の形の小ぶりの「御代の春」、ゴルフボールの形をしているユニークな「ホールインワン」があります。

また、スタイリッシュなパッケージで、虎屋の羊羹をもっと手軽に楽しめる小形羊羹も人気があります。

とらやの羊羹

たねや (和菓子)
設立が1972年の本店が滋賀県近江八幡市にある株式会社たねやの和菓子店です。

元々は、和菓子店でしたが、ご存知の通り洋菓子にも力を入れており、特にバームクーヘンの「クラブハリエ」が有名です。

その他にもイタリア貸専門店「ソルレヴァンテ」、仏蘭西菓子専門店「オクシタニアル」などがあります。

主な和菓子の商品の一つに「たねや最中」があります。 これは、「最中の美味しさは作りたて」と、最中の出発点を伝えている手作りの最中です。滋賀近江の糯米を使った最中で、北海道産のエリモ小豆のアンをサンドしていただきます。

「どらやき」は、フワリと柔らかい生地に、しっとりとした甘さを抑えて炊いた北海道産の小豆をたっぷりと入れています。

看板メニューは、「搗き餅エキストラバージンオリーブオイル 525円」で、つき立てのお餅をエキストラバージンオイルをかけていただきます。

いなば播七 (餅菓子)
創業が天明元年、1781年の大阪市北区曽根崎新地にある株式会社播磨屋七兵衛販売の和菓子店です。

初代播磨屋七兵衛さんが、浪速は堂島の地に大阪最初の餅屋を開業しました。米相場のあった場所で、商売が忙しくて慶長の餅、赤飯などを作る暇がなかったので、その代わりとして慶長の餅、赤飯を作ったのが始まりだそうです。

「紅白小判餅」は、しきたりを重んじた小判餅です。紅白のお餅を二段重ねしていて祝い事の引き出物としてピッタリです。

「赤飯薯蕷セット」は、お赤飯と薯蕷饅頭(5ヶ入)杉折木箱のセットです。杉箱に入っています。

「誕生餅」は、子供の初誕生日祝いに1個1升(一生の掛け言葉)のお餅を子供の背中に紅白のヒモで結び背負わせで少し歩かせます。この誕生餅を力餅とも言い、子供の健康と力強くなるよう願います。

「黄白小判餅」は、仏事用のお餅です。

「傘の餅」は、仏事用で故人の冥福を願って四十九日目、又は三十五日目にお供えするお餅です。

文の助茶屋 (わらびもち・甘酒)
明治の頃の創業のようで、本社が京都府京都市東山区下河原通東入八坂上町にある京甘味文の助茶屋のお店です。

店名は、京甘味 文の助茶屋│粋様参る無粋な店というようです。

文之助の初代は、明治中期に活躍した人情噺の上方の落語家で、曽呂利新左衛門の門弟でした。

二代目文之助が、明治43年に甘酒茶屋をはじめ、それが文の助茶屋と呼ばれるようになりました。

二代目文之助の申し伝えにより「甘酒」と「京に田舎有り」「粋様参る無粋な店(すいさままいるむすいなみせ)」を創業の心得としているそうです。

代表的なメニューは、「わらびもち」、「甘酒」、「栗ぜんざい」、「おしるこ」、「ぜんざい」などがあります。

文の助茶屋のわらびもち、ぜんざいなど

高山堂 (和菓子)
創業が明治20年、1887年の兵庫県西宮市にある株式会社高山堂の和菓子店です。

直営店が、関西を中心に8店舗ほどあります。

お菓子の「スウィートまーめいど」は、高山堂の代表的なお菓子で、ミルク賞味あんを包んでいるとけるような食感の洋風まんじゅうです。日本茶でも紅茶やコヒーでも合います。

「富貴花」は、天然水で炊いた甘さがそうない北海道十勝小豆のこしあんをソフトな玉子の皮で包んでいる焼きまんじゅうです。富貴という、社会的地位と収入の多いシンボルとされ、別名が富貴花とも呼ばれる大きな牡丹の花をかたどっています。

「富もなか」は、先代から受け継がれている高山堂の代表銘菓である「富もなか」を食べごろサイズにしています。滋賀県産の江州米で作っている最中種は、香り高いのが特徴です。

高山堂の和菓子

赤福 (赤福餅)
創業が宝永4年、1707年の本店が三重県伊勢市宇治中之切町にある株式会社赤福のみせです。

伊勢神宮の参道にあり、300年以上も商売を続けている赤福です。

正確な創業年は、不明だそうですが、江戸時代初期には伊勢神宮の五十鈴川近くに「赤福」の屋号の餅屋があったそうです。

伊勢名物の赤福という餅の名前は、まごころ(赤心)をつくすことで素直に他人の幸せを喜ぶことが出来る(慶福)という意味の「赤心慶福」(せきしんけいふく)に由来するとされています。

赤福餅は、餅の上にコシ餡をのせたお菓子で、餅の形は伊勢神宮の近くを流れる五十鈴川のせせらぎを意味し、アンに付いている三筋の形は清流を、白い餅は川底の石を表しています。

お土産用の赤福は、竹皮で包んでいたのが始まりで、「折箱」を考案して入れるようになりました。

「銘々箱」は、贈答用のパッケージで、とりわけ安く2個入れのものとなっています。

「甑」(こしき)は、お米などの穀物を入れて蒸す土器のことで、その甑や蒸籠に見立てた形をしています。贈答用のパッケージで、風呂敷で包まれております。

ふくや (辛子明太子)
創業が昭和23年の福岡市博多区中洲にある株式会社ふくやの辛子明太子販売店です。

売上高は業界トップのふくやです。

創業者が、1949年に製造し販売したのが日本で始めての辛子明太子で、商品名は「味の明太子」でした。

商標登録もせず、製造法の特許も取らず、博多の同業者にも製造法を教えたため、色んな種類の辛子明太子ができてきて、博多名物となりました。

辛子明太子の鮮度管理を優先するため、卸販売はせずに直販方式としています。

代表的商品は、「味の明太子」で発売当時からこだわった味のふくやの明太子の基本です。辛さにもレギュラー、マイルド、激辛などがあります。

明太子以外にも、水産物・水産加工品、肉、肉加工品、鍋、麺類、漬物、ふりかけ、調味料、マヨネーズ等の商品も販売しています。

ふくやの辛子明太子

鼓月 (京菓子)
創業が1945年の本社が京都府京都市伏見区横大路下三栖東ノ口にある株式会社鼓月の京菓子を販売しています。

京菓子にしては比較的新しい会社です。

伝統の京菓子の概念を超越して新しい京菓子を生み出しています。牛乳やバターといった創業当時では、和菓子には使用していなかった食材を使い、全く新しい京菓子を作り出しました。

鼓月という屋号は、妙心寺の管長であった古川大航老師が命名したもので、「打てば響く鼓に想いを寄せ、その名あまねく中天に響き、月にも届け」という社業発展を祈念したものだそうです。

最初の代表的商品は、「華」で、昭和30年代当時、和菓子階ではタブーであったバターやクリームを積極的に取り入れ、好評を得て鼓月の代表的な銘菓となりました。

また、「千寿せんべい」も、京都だけではなく、全国の消費者に湖月の名を有名にしたきっかけとなったお菓子です。

店舗づくりにおいても、鼓月のアイデンティティが出るようにしています。テーマは、伝統と未来で新・京都主義を打ち出しており、古き良き佇まいの中にも斬新的な試みをしています。

「万都の葉」は、最中の一種で、小割り栗入り粒あんを挟んでいます。

鼓月の京菓子

鶴屋吉信 (京菓子)
創業が享和三年、1803年の本社が京都市上京区今出川通堀川西入にある式会社鶴屋吉信の京菓子店です。

明治初年には、京名物の「柚餅」を販売するようになりました。

大正9年には、銘菓「京観世」をはじめとする銘菓の多くを創りだしました。

ここの京菓子は、京都らしく 有職故実のぎしきれ移転に使われる京菓子の影響を強く受けていると言われています。

また、京都の有名な寺社仏閣が多い土地柄で、祭礼や儀式のための供餞菓子、また、茶の湯の茶菓子なども作って来ました。

「柚餅」とは、求肥に青柚子の香りをつけて、和三盆糖をまぶしている餅の菓子です。明治初年にん倍を開始したものですが、2003年に200周年を記念して再発売されました。

1920年に発売された「京観世」は、鶴屋吉信の代表的な菓子で、村雨と丹波大納言の粒あんからなるロールケーキのような形をしている小倉羹です。菓子の名称は、本店の近くにある観ぜ稲荷の井戸に伝わる伝説から取られています。

鶴屋吉信の京菓子

寛永堂 (和菓子)
創業が寛永7年、1630年の京都市中京区先斗町四条上ル柏屋町に本店がある株式会社寛永堂の和菓子店です。

京都の古くからある菓子の老舗にしては、公式サイトにだらだらと沿革・歴史等を書いていません。

ただ、寛永堂の和菓子は飾り気がないそうです。

代表的な商品は、「黒豆茶羊羹」で、水ではなくて黒豆茶で作っています。

その黒豆茶羊羹を作っている「黒豆茶」は、黒豆で有名な丹波の自家焙煎した黒豆茶です。

この黒豆茶の商品には、「黒豆茶やわらぎ羹」、「黒豆茶ぜりぃ」などがあります。

「大納言清澄」は、厳選した大納言小豆を最上の寒天で包んでいます。

「黒豆香」は、京都寛永堂の原点である黒豆で作っているオリジナルのせんべいです。

「京楽寿」は、紅白の美しい和三盆のお菓子で、店名の「寛永堂」が彫り込まれています。ちなみに紅は自然のベニバナを使用して色を付けています。

鶴屋八幡 (和菓子)
創業が文久3年、1863年の大阪市中央区今橋に本店がある和菓子屋さんです。

かなりの歴史を誇る老舗のようで、元々は、元禄15年、1702年創業の上方で有名であった「虎屋伊織」が前身です。

この店は、弥次喜多道中で有名な「東海道中膝栗毛」にも登場しているそうです。

この「虎屋伊織」が商売に行き詰まったところ、鶴屋八幡の創業者に継いでくれということで継承したのが鶴屋八幡の創業です。

当店では、お菓子の材料として、丹波大納言小豆、丹波黒大豆、白小豆を使用しています。

代表的なお菓子は、「四季の心」で、通年販売の小倉羹、冬から初夏にかけての柚子羹、秋から冬にかけての栗小倉羹があります。

「百楽」は、粒あん入りの最中で、国内産の小豆を使用しています。こしあん入りもあります。

「舞鶴」は、丹波大納言小豆のあんを焼き上げた皮で包んでいるどら焼です。

御菓子司 鶴屋八幡 百楽詰合せ

共楽堂 (和風スイーツ)
設立が1933年の広島県三原市港町にある共楽堂の和風スイーツのお店です。

旬の果物や穀類、野菜などを使い、その一瞬輝くお菓子を提供していくことをコンセプトとしています。

戦前には、軍港呉の海軍軍需工場の指定を受けたそうです。

昭和39年には広島県三原市の初の洋菓子店となったようです。

昭和54年には、「ひとつぶのマスカット」の前身「やっさ祭」を開発しました。

平成6年には、「ひとつぶのマスカット」を発売しました。

その後は、店舗を広島、関東を中心に展開して来ました。

「ひとつぶのマスカット」は、朝摘みの生のマスカットを求肥で包んでいる珍しいお菓子です。

「ジュレマスカット」は、岡山産のマスカットをそのままゼリーに閉じ込めています。

「焼き上げ生ショコラ」は、濃厚なチョコレートの味わいと食感を楽しむことができます。夏は冷やすとマナチョコ、冬は温めるとフォンダンショコラとして堪能出来ます。

一心堂 (和菓子)
設立年等は不明ですが、大阪府堺市にある有限会社一心堂の和菓子店です。

店主は、兵庫県の老舗和菓子店で修行をして、先代を継いで店を経営しています。

食材にもこだわっており、粒あんは、大粒丹波大納言を使用しています。それが使用できない場合は、北海道産小豆を使用しています。

白あんは、北海道産のクオリティの高いてぼう豆を使っています。

お菓子の基本となる水には、弱アルカリ性の「富田の水」で、モンドセレクションで大金賞を8年連続で受賞しています。

商品に使う卵には、すべてヨード卵・光を用いています。

「たんとこころん」は、ハートの形をしたお菓子で、5種類のテイストを味わえます。

代表的な商品は「いちご大福」で、イチゴは国内産を糖度、酸味、柔らかさなどを考えて選んでいます。中に入っているお餅も、冷やしても固くならないように技術によりをかけて作っています。白あんと黒餡の2種類があります。

「フルーツ大福」は、大福の中に果物が入っているもので、「柿大福」、「みかん大福」、「ラ・フランス大福」、「マスクメロン大福」があります。

洛心館 (京菓子)
経営母体等は不明です。

公式サイトもありません。

京都市中京区柳馬場通錦小路上ル十文字町にあったようですが、移転してしまっているようです。

梅田のデパート街でも、期間限定の出店が多かったのですが、やっと阪急うめだのデパ地下に入ったものです。

代表的商品は、どら焼です。

抹茶、黒糖、プリン、イチゴ、塩の5種類があります。

抹茶はもちろん宇治産のもの。

塩は、沖縄のぬちまーすという塩を使用しています。

黒糖は沖縄の波照間産です。

また、フルーツ大福もあり、こちらは福岡産キウイ、熊本産甘夏、佐賀産イチゴ、静岡産メロンなどがあります。

「洛心わらびもち」は、外観は丸いかごに入ったレアチーズケーキですが、レアチーズの下にわらび餅が入っています。

種類は、プレーン、キウイ、イチゴ、ミカンの4種類です。ちょっと変わったスイーツですので、好き嫌いがあるかもしれません。

あみだ池大黒 (おこし)
創業が文化2年、1805年の本店が大阪市西区北堀江にある株式会社あみだ池大黒のおこしの店です。

おこしは、日本で最も古い歴史があるお菓子だと言われています。

弥生時代や奈良時代には原型となるものが文献に出てきています。

平安時代にもお米を加工したお菓子があり、貴族階級に愛好され、珍重されていました。

江戸時代には、大阪は「天下の台所」とも呼ばれるくらい、経済の中心地として、良質な米が比較的安く入手でき、そのため、粟おこしの製造が盛んになり、やがて米おこしに変わって行きました。

明治時代には、おこしが恩賜のおこしとして兵士に配給され、非常な評判を呼び、大阪名物となっていきました。

代表的な商品は、大阪のグルメなお土産の代表岩おこし、粟おこしです。

「福の花」は、あみだ池大黒の代表銘菓で、一口タイプのおこしで、ピーナッツ、アーモンド、バニラエッセンス、黒砂糖、しょうがの4種類があり、広く老若男女に支持されています。

岩おこし10枚束

釣鐘屋本舗 (釣鐘まんじゅ)
創業が明治33年、1900年の大阪市浪速区恵美須東にある株式会社釣鐘屋本舗の和菓子店です。

日本で最も古いと言われる、聖徳太子によって建立された宮寺「四天王寺」があります。この四天王寺に明治33年、地元の有志が大梵鐘を奉納されました。

その奉納記念として、釣鐘の形をかたどった万頭を四天王寺の門前で売りだしたのが「釣鐘まんじゅう」のはじまりです。

四天王寺参拝のお土産として、また、大阪名物としてなにわの銘菓となりったそうです。

モデルとなった釣鐘自体は、戦争で供出されてしまいましたが、その姿は饅頭として残りました。

使用しているアンの小豆は北海道産、白あんには北海道産のテボ豆です。

代表的な銘菓は、四天王寺の大梵鐘にちなんで名付けられ、コシ餡とカステラ生地の「釣鐘まんじゅう」です。

「名代芭蕉」は、風味があるバナナ餡には、北海道産の小豆も使用しています。

「一口かすてら」は、熟成した寝かせ生地で、焼き上げているのが特徴です。

釣鐘屋本舗の釣鐘まんじゅうなど

仁々木 (和菓子)
経営母体は不明です。

公式サイトがありますが、これが見てくれ最優先の最も悪いタイプのサイトです。

情報はろくになく、表示まで時間がかかるというシロモノです。

お店には罪がないと思いますが、委託を受けたサイト制作会社のセンスが最も疑われます。

これで、高い料金を請求するのでしょうから、お店は踏んだり蹴ったりです。

インターネットのサイトで最も重視すべきは、消費者が求める情報をいかに見やすく迅速に的確な提供できるかで、写真を観ることではないのです。時代遅れのサイトといえるでしょう。

イメージ先行サイトの悪い見本です。

むしやしない処仁々木とサイトにありますが、むしやしない所とは何かは消費者にはほとんど分かりませんし、知ろうともしないでしょう。

あいさつを見れば理解出来ますが、この説明の表示に時間がかかり過ぎますし、普通は挨拶などほとんど見ません。

代表的な商品として、「三寧おはぎ」がありますが、この商品の説明の字が小さすぎて読めず、おまけに読んでいる途中で消えてしまうという有様です。

大阪駅のグルメを紹介しているこのサイトでは、このようなサイトも紹介して、グルメ会全体のサイトの質の向上も期待しています。

まめ新 (豆)
創業が1905年の大阪市中央区淡路町にある株式会社豆新本店のお豆の店です。

明治38年に大阪市東区坂町で豆新として開業しました。

御堂筋にある「Nuts DOM」という店が本店のようです。

この「Nuts DOM」の姉妹店が、阪急うめだ本店の豆新です。

元々は阪急うめだ本店の別な階にあったものが、2010年10月のオープンに伴いデパ地下に移転してきたものです。

「ふくよかアーモンド」は、カリフォルニア産のノンバレルタイプのアーモンドを熱風焙煎で仕上げています。

「さくさくカシューナッツ」は、古代の勾玉のモデルになった神秘的な形をしている珍しいナッツだそうです。また、熱帯地方産ですが、種部分が果実の外にできるという珍しい木の実でもあります。

「まろやかピーナッツ」は、世界で一番美味しいといわれる千葉県産の落花生、「千葉半立」を無酸素状態で鮮度保管し、使う時だけ封を切って170度の熱風でローストしています。

ナッツダムの豆類

あられとよす (あられ)
創業が明治35年の本社が大阪府池田市住吉にあるとよす株式会社のあられ店です。

創業者の豊洲卯三郎氏が大阪阿波座で手焼きのあられ・おかきを作り始めました。

当時の屋号は「樋口」だったそうです。

昭和16年に大阪府池田市に転居しました。

結構ブランド作りに熱心な会社で、「とよす有庵」、「十火」、「かきたねキッチン」などがあります。

阪急うめだ本店のあられとよすは、110年の歴史を誇るあられへのこだわりを持って、米で人を豊かにしたいとの思いでオープンしました。

商品は、創作あられ八撰袋の「お八つ」、米つぶ薄焼きあられの「ほうろく」、丹波産黒豆おかきの「豆しお」、温故知新・米菓寄せの」「豊菓抄」、選んで贈る・新たなときめきの「豊味彩々」、気軽な手土産やご自宅用に「とよすの袋物」などがあります。

あられとよすのあられ

京都祇園 萩月 (あられ・せんべい)
経営母体等は不明ですが、創業80年の本店が京都市東山区祇園町南側にあるあられ、せんべいそしておかきのお店です。

公式サイトを見ると、京都の80年の歴史を誇るお菓子屋さんにしては、店の歴史や由来などがありません。

わすかに見つけた小さな一文が「京都祇園萩月は、舞妓さん、芸妓さん、有名な京料理店御用達のあられ・おかきの老舗専門店です。」とのこと。

老舗の称号は、いつもこのサイトでも言っているのですが、自分で名乗るのではなくて客などが決めることはないでしょうか。

老舗にしては、公式サイトは、トップページから商品がズラリと並んでいます。

例えば、百貨店で人気No.1が「花あわせ」。

贈り物商品人気ランキングは、第1位が「萩月詰め合わせ」、第2位が「花合わせ」、第3位が「祇園セット」、第4位が「祇園煎」、第5位が「京のうす焼き」。

ご家庭用商品人気ランキングは、第1位が「古代製法花かりん」、第2位が「七つのあられ花よせ」、第3位が「雅焼き」、第4位が「萩月のふきよせ」、第5位が「祇園煎」です。

これらの情報が不要ではなく、商品選定には有用な情報ですが、公式サイトのトップページがこれらで埋め尽くされているのが京都の自称老舗にしてはいかがなものかと思います。

京都祇園 萩月のあられ・和菓子等

珍々堂 (おかき・あられ)
創業年等は不明ですが、大阪市西成区萩之茶屋にある株式会社珍々堂のおかき・あられ屋さんです。

量り売りでおかきを販売しています。

直接販売するのは、デパートのみなのですが、阪急うめだ本店以外にはあべの近鉄店、心斎橋大丸店で販売されています。

代表的な商品の「錦マヨネーズ」は、海老、黒胡麻、青海苔の3種類の風味のあられをマヨネーズで和えたものです。歯ざわりもよく、珍々堂独自の味付けが特徴です。

袋にたっぷり入っていますので、満足感も十分です。

「吹寄」は、選びぬかれた山の幸と海の幸を20種類以上混ぜあわせた浪速生まれのあられです。軽い食感の中にも、食材の味わいが堪能できる一品です。

マヨアラ (マヨネーズあられ)
あられの珍々堂の日本初のマヨネーズあられの専門店です。

2012年10月に阪急うめだ本店のリニューアルの際にオープンしました。

目玉商品は、こってりとしたうにマヨネーズです。

「ゆず胡麻マヨネーズ」は、サッパリとして食べやすい味です。

「トマトバジルマヨネーズ」は、イタリアンの風味豊かです。

商品は、20種類以上あります。

なお、小袋タイプもありますので、ちょっと欲しい方にも便利です。

両口屋是清 (和菓子)
創業が寛永11年、1634年の本社が名古屋市中区丸の内にある両口屋是清の和菓子店です。

大阪の菓子司であった創業者が、尾張藩御用菓子製造のため、那古野本町で開業しました。

貞亨3年、1868年には、尾張藩主徳川光友から直筆の表看板「御菓子司所両口屋是清」の看板をもらったそうです。

その頃の栄華は、長続きせず、大正時代の末頃には従業員も10に位になってしまいました。

しかし、その後、干菓子「二人静」、「をちこち」などの新商品を出してきました。

戦後、昭和29年に「千なり」を発売し徐々に隆盛を取り戻しました。

代表的な銘菓は、どら焼の「千なり」、紅白一対の「二人静」、大納言小豆が美味しい「をちこち」です。

両口屋是清の和菓子

銀装 (カステラ)
創業が昭和27年、1952年の本社が大阪市中央区心斎橋筋にある株式会社銀装のカステラ店です。

心斎橋で創業し、カステラの製造販売一筋でやって来ました。

文明堂からの暖簾分けで創業しました。

元来、カステラは日持ちが悪いお菓子でしたが、銀装が「紙の缶詰」というカステラを密封し、包装して熱殺菌する技術を開発しました。

このことにより、カステラの賞味期限が画期的に伸び、同時にコストを抑えることにも繋がって、カステラがより手軽に入手できるようになりました。

また、カステラでは初めてのスライス化をてがけ、このこともカステラの普及につながりました。

代表的商品は、「カステ」で、全てスライス化され、青箱と赤箱に入れられています。

「カステラあすか」は、卵黄を多く使用した極上の五三カステラです。

「季節のカステラ」は、季節感あるカステラで「柚子」、「桜」、「チョコレート」、「新茶」、「甘夏」、「栗」、「黒豆」の種類を取り揃えています。、

銀装のカステラとお菓子

松月堂 (栗きんとん)
創業年等は不明ですが、 岐阜県中津川市にある株式会社松月堂お菓子店です。

栗きんとんを始めとする栗のお菓子で有名な中津川です。

栗きんとんは、岐阜美濃東部名産である栗を使用している高級和菓子です。

一年中あるわけでもなく、栗の収穫時期の9月頃から翌年1月ころまでに製造販売されます。

岐阜県南東部の中津川市や恵那市がある恵那地域では、恵那栗という良質の栗が収穫されており、これらの市内では栗きんとんを作るお店がたくさんあります。

栗きんとんは、栗に砂糖を加えて炊きあげたもので、おせちの栗きんとんとは異なり粘り気はありません。

形状は、茶巾絞りで栗の形をしています。

なお、栗きんとんの元祖は、中津川市の本家すやと八百津町の緑屋老舗であるとの両方の説があります。

中津川の松月堂の栗きんとん等

中田屋 (きんつば)
創業が昭和9年、1934年の本社が石川県金沢市にある株式会社中田屋のきんつばのお店です。

石川県内に6店と県外に4店の直営店があり、阪急うめだ本店もその内の一つです。

きんつばとは、金鍔焼きのことで、和菓子の一つです。

小麦粉を水でこねて、生地を薄く伸ばし、その生地であんを包み、円盤状にして油を塗った平たい鍋で両面と側面を焼き上げたものです。

角型をしているいわゆる角きんつばは、明治時代以降のもので、寒天を使ってアンを資格に固め、小麦粉を水で溶いたものを生地につけながら、銅板で焼き上げたものです。

中田屋のきんつばは後者の製法で作っています。

大粒の北海道産の大納言小豆で作ったアンに砂糖と寒天を加え、そのアンを舟に流して資格切り分けて、一つづづ薄い衣を刷毛で塗りながら焼いています。

「鍔もなか」は、アンに命をかけている中田屋の最中です。きんつばと同じアンを使っています。

金沢 中田屋のきんつば

小島屋 (けし餅)
延宝年間に創業し、堺市堺区宿院町東にある株式会社小島屋のけし餅の店です。

けし餅のけしの実は、室町時代にインドから伝わったと言われています。江戸時代初期ころから、大阪、堺、和歌山周辺で盛んになりました。

けし餅は、このけしの実を、小豆のコシ餡を薄皮で包んだものにまぶしたものです。

堺の街は古くから南蛮貿易が盛んで、海外からの珍しいものがこの街を通して日本に伝わったものが多くあります。

けしの実も、堺の近郊で栽培が盛んに行われていました。そんな時に、千利休の茶の湯によって堺でも多くの茶菓子が生まれ、その一つがけしの実を使ったけし餅です。

小島屋では、その伝統のけしの実の製法を守り続けています。

現在では、小島屋のけし餅は、トルコ産のけしの実、北海道産の小豆、国内産のきなこ、上白糖を使っています。

花園饅頭 (ぬれ甘なっと)
創業が天保5年、1834年の本社が東京都新宿区新宿にある株式会社花園万頭の和菓子店です。

花園万頭の元々は、加賀前田藩の城下町金沢で天保5年に創業した石川屋本舗です。

明治39年に、東京に進出して来ました。

最初は、東京青山、次に赤坂へ。ところが火事にあい、昭和5年に新宿三光町に移転しました。

底にあった花園神社の名にちなんだ饅頭を創りだしたのが花園饅頭です。

昭和24年には、花園万頭と列ぶ銘菓の「ぬれ甘なっと」を発売しました。

定番商品の花園饅頭は、外側の皮は大和いもと粉との秘伝の配合で作られています。また、中のあんは、粒より小豆、氷砂糖、四国の和三盆糖を使っています。

ぬれ甘なっとは、北海道産の厳選された大納言を使ったシットリとした甘納豆です。

花園万頭 ぬれ甘なつと小袋 6袋

京丹波口きたお (黒豆菓子)
創業が文久2年の本店が京都市下京区西七条南中野町にある北尾商事株式会社の黒豆菓子のお店です。

創業以来、京都丹波産の「新丹波黒」黒豆や「馬路大納言」小豆等の豆類、砂糖などの商売をしてきました。

京丹波口きたおは、「黒豆しぼり」を京都らしい装いで提供する店です。

お店は、きたお本店の他に、阪急うめだ店、高島屋大阪店、西武池袋店、横浜そごう店を展開しています。

看板商品は、「黒豆しぼり」です。黒豆しぼりとは、「厳選された黒豆と同社独自の製法が醸し出す上品なおいしさ」と公式サイトでは書いていますが、何の説明にもなっていません。

もう少しどんな商品か説明してほしいものです。

「黒豆グラッセ」は、「ブランデーとの出会いによって生まれた京の新しい銘菓」だそうですが、これまた何のことやら。

「ぽりぽり」は、選りすぐりの国内産大豆をじっくりと炒りあげ、香り豊かな抹茶とお砂糖をまぶしました。」とやっとまともな説明が出てきました。

四季折々 (朝宮茶)
経営母体等は不明です。

阪急うめだ本店のデパ地下で「朝宮茶」を販売しています。

「朝宮茶」とは、1200年の伝統の味と香りがあるお茶です。

朝宮茶を産する滋賀県信楽町は、最澄が、中国・唐から持ち帰ったお茶の種子を播いたという伝承が残っており、国内最古級の茶の産地です。

お茶の栽培に適した土壌と気候条件があり、お茶の品評会で何度も受賞しているという銘茶の産地でもあります。

朝宮茶の特徴は、香り高く、程よい渋みと、口の中に広がるまろやかな自然の甘みです。

また、同店では、「特選ほうじ茶」があり、自家焙煎で香ばしが特徴的で、食後のお茶としてもベストです。

叶匠寿庵 (和菓子)
創業が昭和33年の本社が滋賀県大津市にある株式会社叶 匠壽庵の和菓子店です。

直営店は、滋賀県を中心として6店舗を含めて70店舗を全国に展開しています。

代表的な商品は、「あも」です。

じっくりと炊きあげている小豆と、柔らかな求肥を合わせている棹菓子です。

あも(塩)は、焼塩の風味が小豆の旨みを際立たせていて、コシのあるお餅と合わせています。

「標野」(しめの)は、枝で完熟した上州白梅を自家用の梅蔵で寝かせ、熟成した梅のエキスを寒天でまとめています。

「閼伽井」(あかい)は、香りが良い黒須きな粉を求肥にまぶしたもので、上品な味がします。

一壺天は、栗を炊きあげて、クオリティの高い大納言小豆のアンで包んでいます。

叶匠寿庵の和菓子

桂新堂 (海老煎餅)
創業が慶応2年、1866年の本店が名古屋市熱田区金山町にある桂新堂株式会社の海老煎餅のお店です。

江戸時代の慶応年間に創業者が、愛知県の知多半島でえべせんべいを完成させました。

明治時代には「渦巻」、大正時代には「あわじ焼き」で人気を得ました。

戦前には、全国に桂新堂の名が認知されてきました。

えびせんべいの素材となる海老は、「車えび」、「甘えび」、「赤えび」、「伊勢えび」、「ぼたんえび」などです。

桂新堂の車えびは、沖縄、宮崎、鹿児島、佐賀、熊本、大分、長崎、和歌山で養殖した国産です。

桂新堂を代表する商品は、「海老づくし」で、沖縄や九州で育成された車えび、北海道の日本海沖で穫れた甘えびなどを使用しています。

「炙り焼き」は、甘えびと赤えびの2種類の海老の身をたっぷり使って炙って仕上げています。

「甘えび姿詰合せ」は、北海道日本海沖の甘えびをエビカゴ漁で取り、姿を活かして焼き上げています。

桂新堂のえびせんべい

仙太郎 (和菓子)
創業年は不明ですが、本社が京都市下京区寺町通り仏光寺上る中之町にある和菓子のお店です。

京都に6店舗、大阪に3店舗、兵庫に1店舗、東京に5店舗、横浜に1店舗、名古屋に2店舗の合計18店舗を全国に展開しています。

商品の「ご存じ最中」は、アンは最中の皮からはみ出していますが、丹波大納言を丹波神吉の氷室の純水で炊きあげています。

「ぼた餅」は、八分撞きにしたもち米に北海道産甜菜糖のグラニュー糖、熊本天草の天然の塩、大葉を入れた生地にして、丹波大納言小豆を炊いた粒あんでくるんでいます。

「六方焼」は、コシ餡を生地で包み込み、きつね色に焼いて表面に黒ゴマをのせています。六面を焼くために六方焼と言います。

「老玉」は、丹波神吉工場の裏から湧いている氷室の水で炊いたコシ餡を飴玉にし、沖縄産黒糖の羊羹を衣掛けにしています。

「すはま」は、すはま粉(大豆の粉)に上白糖を混ぜ、米のアンコで練っています。茶色は黒豆きなこ、緑は抹茶でそれぞれ小豆のこし餡が入っています。

仙太郎のご存じ最中、六方焼

福砂屋 (カステラ)
創業が寛永元年、1624年の本店が長崎市船大工町にある福砂屋のカステラ店です。

長崎カステラの元祖とも言われています。

長崎カステラは、福砂屋、文明堂そして松翁軒が大手ですが、文明堂は福砂屋で修行した職人が作った店です。

福砂屋と松翁軒の間には、こちらが元祖であるという争いみたいなものがあります。

商標の図案は、中国でめでたい動物と言われている蝙蝠です。

長崎の本店以外には、福岡の赤坂店、東京の赤坂店などの直営店を持っています。

看板商品は、もちろんカステラですが、明治時代に福砂屋で開発されたのが、五三焼かすてらです。

このカステラは、卵と砂糖の配合を多くして、粉の量を少なくしたものですが、熟練の職人技を必要としています。

文明堂では、予約なしに購入出来ますが、福砂屋の五三カステラを購入するには、予約が必要となります。

福砂屋のカステラ

満月 (阿闍梨餅)
創業が安政3年、1856年の本店が京都市左京区鞠小路通り今出川上ルにある阿闍梨餅本舗 京菓子司 満月のお店です。

阿闍梨餅で有名な京都の和菓子店です。

阿闍梨とは、サンスクリット語で模範を意味していて、正しく戒律を守り、弟子たちの模範となる法を教えていくような僧侶のことを指します。

京都名産の和菓子である阿闍梨餅本舗の「阿闍梨餅」は、比叡山の千日回峰行の阿闍梨がかぶる網代笠をモデルとしているので、阿闍梨餅という名前が付けられました。

比叡山の千日回峰行は非常に厳しい修行で知られており、失敗した時には自殺するための紐と刀を携えており、酒井雄哉阿闍梨は存命ですが、この行を2回達成しています。

阿闍梨餅は、大正時代に満月の二代目が作りました。

餅粉をベースに、氷砂糖や卵などの食材を練り合わせた生地に丹波大納言小豆の粒あん入れて焼いた半生菓子です。

次の看板菓子が「満月」で、明治初期に開発されました。

丹波最上級白小豆生一本のこし餡の味が秀逸です。